12市町村辞典

Dictionaries of 12 villages

12市町村に隠れている様々な魅力やスポットを 辞典にてまとめました。 ボタンをクリックして、 福島の魅力を発見してみましょう。

Follow us

インスタグラム ツイッターエックス フェイスブック
あ行
いこいの村なみえ
浪江町の宿泊施設。東日本大震災と原発事故の影響により休館し、2018(平成30)年6月の宿泊機能の再開を経て、2021年8月にグランドオープンした。大浴場の他、宿泊施設、レストラン、会議室などを備えている。大浴場は同町の「福島水素エネルギー研究フィールド(FH2R)で製造された水素エネルギー由来の「水素の湯」が用いられており、日帰り入浴も可能。レストランは宿泊者だけでなく、予約すれば一般団体での利用も可能。コテージエリアにBBQができる中庭があり、BBQコンロの貸し出しも行っている(食材は持ち込みが必要)。宿泊用の客室は本館和室6室、和洋室2室のほか、20棟ある宿泊用のコテージは、二本松市に設置された応急仮設住宅を再利用したもので、町の復興・観光及び交流の拠点として生まれ変わった。
いいたて雪っ娘
飯舘村の農業高校の教師、菅野元一氏により育種され、2011年3月15日に品種登録されたカボチャ。夏には太平洋側から冷たいやませが吹き込み、冬には氷点下まで冷え込む同村の気候を活かし、保存性が高く食味の良い品種。皮は白くて薄く、果肉は艷やかで色濃い黄色。ホクホクしっとりと甘い食味で繊維が少なく加工しやすいのも特長。これから本格的な栽培を開始しようという矢先、東日本大震災の影響で畑が放射能で汚染され、全村避難により同村での栽培もできなくなった。一時避難先の福島市で栽培を継続し、2017年にようやく同村での栽培を再開した。2005年に同村の有志で設立した「いいたて雪っ娘研究会」(現在の「いいたて雪っ娘かぼちゃプロジェクト協議会」の母体)により栽培、加工、販売され、同村の農業振興に寄与している。
石井食堂
葛尾村で50年以上にわたり村民の胃袋を満たしてきた老舗の定食屋。葛尾村の避難指示解除に合わせて店を新築し、営業を続けている村唯一の食堂。リーズナブルな値段ながら麺類から定食まで豊富なメニューとボリューミーさが受けている。その中でも「デカ盛りチャーハン」が代名詞で、1kgはあろうかという思い切りのよいボリュームに圧倒される客が続出。それを見越してか、お持ち帰り用の容器が用意されている店側の心遣いも憎い。家族経営ながら、テキパキと動く店員さんの姿も清々しく、昼食時には行列ができることも。住民の方だけでなく村で働く作業員の方や、近隣の地域から足を運ぶ方の姿も見られ、多くのファンに愛されていることがわかる葛尾村の名所でもある。
いわなの郷
緑豊かな阿武隈山地の中央に位置し、村全体の9割を山林が占め、その清流にヤマメやイワナが生息する川内村。その名産のイワナを養殖し、釣り堀やその料理を楽しめる幻魚亭、宿泊コテージやBBQ施設、体験交流館を併設する観光スポット。いわなの郷で飼料管理を徹底し養殖しているイワナは天然モノより川魚特有の香りが少なく、川魚のクセが苦手なお子様にも好評、食の安全性も高いのが特徴。また「イワナの塩焼き」は勿論のこと、オーダーを受けてから〆る「いわなの刺身」は養魚場を併設しているいわなの郷だからこそ味わえる夏季限定品。養魚場併設の釣り堀は、竿のレンタルや餌も取り揃えており、手ぶらでイワナ釣りが楽しめる。生イワナの発送も可能。宿泊コテージは5〜10人用から段差の無いバリアフリー対応まで5棟完備。体験交流館は、そば打ち体験から国際会議まで対応可能な屋内施設です。
請戸(うけど)もの
「常磐(じょうばん)もの」としてブランドを築いた福島県沖の海産物の中でも、浪江町の請戸(うけど)漁港で水揚げされる魚は「請戸(うけど)もの」と言われる。特にカレイ、ヒラメ、アイナメ、シラスなどが有名で、請戸漁港常磐沖で捕れる新鮮な活魚のほとんどが高級魚であり、その活魚は、東京の築地魚河岸でも「トップ引き」といい最初にセリにかけられるほど知名度が高いことで知られ、昔から高い評価を得ていた。 年間で約100種もの豊富な魚が水揚げされていた請戸漁港は、震災に伴う津波の影響により、94隻あった漁船のうち86隻が失われ、港湾施設は使用不能の状態に陥ったが、2020年に再開し、現在は少しずつかつての活気を取り戻している。
大堀相馬焼
浪江町大堀地区を中心に焼かれた陶器。素朴な味わいのある焼き物で、「青ひび焼き」「走り駒」「二重焼き」が特徴。一つ目の「青ひび焼き」は、青磁釉に大きく貫入の入る青罅釉のかかった焼き物で、ひび割れが器全体に拡がって模様となる。第二の特徴である「走り駒」には、疾走する馬の絵が手書きで描かれる。第三の特徴である「二重焼き」は、熱い湯を入れても持つことのできる構造を有し、入れた湯が冷めにくい。江戸時代初期の元禄時代に始められ、半農半陶で従事する窯が近隣の村にも拡大していったが、 明治時代には交通の発達により他産地との競合も激しくなり、窯元数が減少。昭和53年には国の伝統的工芸品の指定を受け、23基の窯元が伝統を守りながら作陶を続けていたが、原発事故後に大堀地区への立ち入りが厳しく制限されたため、窯元の半数以上が廃業。残りの10軒近くは避難先で事業を続けている。一方で、大堀相馬焼の特徴である、ひびの入った淡い繊細な緑色を生み出す砥山石は、この大堀地区でしか採れない貴重なものであり、現在いわき市で作陶を続ける「陶吉郎窯」のように、大堀地区での作陶再開を目指す窯元も存在する。(2024年開業予定)
おおくまキウイ再生クラブ
大熊町にて、震災前この町の特産品として多くの人に愛されたキウイフルーツの再生、及びその活動を通した関係人口の創出に取り組む団体。2020年発足。同町内に数か所の圃場を設け、誰でも参加できる作業会を開催し、町内外の様々な人が、「大熊のキウイを再生する」という目標の下で交流できる場を作っている。再生クラブのメンバーは、町内に住んでいる人、今は町外に拠点を置いている町民、仕事で大熊と関わりを持った人、たまたま大熊に遊びに来ていた学生など様々。栽培に関しては、もと同町内でキウイや梨を栽培していたフルーツガーデン関本(現在千葉県香取市にて栽培再開)の関本さんの指導の下で行っている。
川合精肉店
田村市常葉町の老舗精肉店。昭和20年前半に創業、昭和30年後半に本格的な豚肉生産販売の一貫経営を開始、昭和40年代より肉の専門店として食肉小売と業務用店への卸売に拡販。羊肉、豚肉、牛肉、馬肉、鶏肉など幅広い精肉を扱う。福島県産の精肉・ブランド肉を積極的に販売しており、特に豚肉は、こだわりの福島県産豚肉上規格品を枝肉仕入れしている。その厳しい品質管理や確かな技術で、県内外のファンも多い。三代目の川合達也氏は、日本BBQ協会上級インストラクターを取得し、自店の肉や福島県内の農家から直送で届いた採れたて新鮮野菜などを使用し、出張BBQサービスを展開。大きな塊のお肉をみんなでシェアするBBQを通して、本当の美味しさ、楽しさだけでなく、新しいコミュニケーション文化も広めている。
かわうちワイン
運営会社であるかわうちワイン株式会社は、川内村が筆頭株主となり民間個人も株主参加し、官設民営会社として2017年に設立された。 2020年にワインの出荷を行うことを目標に掲げ、川内村の高田島地区に約3ヘクタールの圃場(高田島ヴィンヤード)を設営。ワイン用ブドウの栽培及び関連設備の拡充に取り組み、2021年に念願の醸造所を開所。目の前の高台で栽培された川内村産ブドウを原料にした「ヴィラージュシリーズ」のほか、山形県産ブドウを使用した「リベルシリーズ」を醸造しており、赤、白、ロゼ、ともに爽やかで香り高く、ワイン愛好家からの評価も高い。
カフェアメイゾン
蓄光タイルを川内村で製造するコドモエナジー㈱の関連会社である㈱コドモインターナショナルが震災復興を願い福島県川内村に日本第1号店をオープン。その後、和歌山県すさみ町に2店舗目(2020年5月閉店)、福島県楢葉町Jヴィレッジ内に3店舗目をオープンした。Café Amazonは、1988年にタイの山岳地帯に住む人々の暮らしを支援するために始まったロイヤルプロジェクト。コーヒー豆栽培を支援するために購入したコーヒー豆を販売するため、タイ全土に2300以上の店舗を展開している。店舗で提供するコーヒーは、タイから直輸入したコーヒー豆を使用、本場のバリスタが淹れるコーヒーの独特な香り・味を楽しめる。その他人気のスムージーや各種ティーも提供。
川俣シャモ
絹織物の生産で栄え、多くの「絹長者」を生んだ川俣町において、かつては闘鶏用のシャモ(軍鶏)を飼う富豪の姿がみられた。そのような背景がある中で、1980年代になると町の特産品を生み出す動きが盛り上がり、絹とシャモの関係にヒントを得て、食用シャモ肉の研究が開始され、純系のシャモをベースに品種改良が繰り返される。独特の食感と旨味を追求し続け、肉用専用種の「レッドコーニッシュ」などと掛け合わせた現在の「川俣シャモ」が誕生。現在は「川俣シャモ振興会」加入の農家が飼育を行い、川俣町農業振興公社が加工品(燻製、冷凍、シャモ鍋セットなど)の生産・販売を行なっている。しつこくない脂と深いコク、硬すぎず水っぽくない適度な弾力が人気を呼び、高級食材として認知された川俣シャモは、首都圏の有名店でも重用されている。2022年には地理的表示保護制度(GI)対象品目に登録され、福島県を代表する地鶏ブラントとして広く認知されている。
川俣シルク
福島県における養蚕、機織業発祥の地とされる川俣町において、町の特産品として受け継がれている。約1300年前、崇峻天皇の妃であった小手姫が故郷を追われ行方不明の息子を探し求めて、ここ川俣の地に辿り着き、桑を植え、養蚕をはじめ、機織を伝授したことが起源とされている。その時から川俣産の絹が各地に広がり、江戸時代には川俣に生糸・羽二重の二七市が定期的に立つようになる。明治期に入ると、バッタン機が導入され、大橋式織機が発明され機械化による大量 生産に成功。製品の品質の高さから、1880年代から海外輸出もされていくが、化学繊維の普及やアジア諸国からの安価な製品により、戦後は海外産の織物などに押されて工場の数は10分の1以下となり、衰退の途を歩み始める。そこに震災が重なり、町内も大きな被害を受けるが、地元の工場は逆境をはねのけ、川俣羽二重のさらに半分の薄さの織物を開発。世界のハイブランドデザイナーが「川俣シルク」の質の高さを再認識し、再び世界に川俣シルクが知られるようになった。
木戸川(きどがわ)
国内有数の鮭の捕獲数を誇る河川として知られていた木戸川(きどがわ)。江戸時代から続く、楢葉町の基幹事業だった。1995年の漁獲は本州最多の約10万匹、ピークの96年は約16万匹を誇ったが、東日本大震災の津波で孵化場の700万匹の稚魚が全滅。その後、原発事故による避難指示の影響もあり、稚魚の養殖が4年ほど中断された。2015年には再び孵化場を整備し、鮭漁復活を目指すが、台風19号でやな場などが大きな被害を受けるなどし、近年の気候変動の影響もあり、捕獲量は激減している状況が続いている。そのような困難な状況ながらも、木戸川漁業協同組合は現在も毎年3月に稚魚の放流を行い、伝統の鮭漁の復活を目指している。
グリーンパーク都路
標高634mの大パノラマが広がり、緑いっぱいの大自然を生かしたオートキャンプやディスクゴルフなどが満喫できるアウトドアスポット。東日本大震災を経て一時は休眠状態となっていたが、オートキャンプ場は、光管財・ホップジャパン・グリーンパーク都路活性化共同事業体が運営主体となり、2021年4月に「ホップガーデンオートキャンプ場」としてリニューアルオープン。広大な敷地にも関わらず、サイト数は10か所のみのオートキャンプ場のため、ゆったりとした大人のキャンプを楽しむことができる。ロッジ(管理棟)には、テント泊に苦手意識を持つ方も安心して過ごせる個室のほか、各種キャンプ用品のレンタルや薪などの消耗品も購入できる。また、同敷地内にあるブルワリーで使用したホップ入り「ホップ風呂」も人気。夜には満天の星空が広がり、子供から大人まで四季を通じて大自然を楽しめるレジャースポットである。
常磐(じょうばん)もの
福島県沖の海域は、寒流(親潮)と暖流(黒潮)がぶつかる「潮目の海」と言われ、魚の餌となるプランクトンが多く発生する豊かな海であり、そこで水揚げされた魚を「常磐(じょうばん)もの」と呼ぶ。昔から築地関係者の間からは、非常に恵まれた漁場で獲れた常磐ものは、一流品として高い評価を得てきた。また福島県沖では、春は季節の訪れを告げる小女子やシラウオ、夏は脂の乗ったイワシや赤身のきれいな鰹、北寄貝、秋ならサンマや甘みのあるヤリイカ、そして冬は常磐ものの代表格である身質のいいヒラメ、アンコウなど、四季を通じて良質な魚が水揚げされることが特徴。 震災と原発事故から10年が経過した2021年3月、漁港や市場などの復旧が進み、魚介類から国の基準を超える放射性物質がほとんど検出されなくなったことなどから「試験操業」を終えた。現在は、漁の制限を段階的に減らしながら水揚げ量の拡大に取り組んでいく「本格操業」に前進を続けている。
じゅうねん
福島県阿武隈山系および会津地方で主に生産されている植物で、荏胡麻(えごま)の地域愛称名(方言)。 荏胡麻はシソ科の一年草。福島県内におけるエゴマの栽培量は国内でも有数で、昔から各地で種子を利用した味噌や菓子が食べられている。収穫した種子は「10年経っても蒔けば芽を出す」とか、その栄養価の高さから「じゅうねんを食べると10年長生きする」といういわれもある。軽く炒り、すり鉢で味噌、砂糖、醤油などすり合わせ、インゲンなどと和えた料理は阿武隈山系では「よごし」という。この他、紫蘇やキュウリを加え、水で伸ばして夏には冷えたうどんを入れて食べる「冷やたり/ 冷やだれ」、煮た餅に絡めて食べる「すえ餅 / じゅうねんぼたもち」などはこの地域の郷土料理である。※料理名については12市町村でも異なる場合がある。
12市町村(じゅうにしちょうそん)
東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴う避難指示等の対象となった福島県の12の市町村(田村市・南相馬市・川俣町・広野町・楢葉町・富岡町・川内村・大熊町・双葉町・浪江町・葛尾村・飯舘村)を「福島12市町村」と称する。「海側」の太平洋に面した地域と、「山側」の阿武隈山地に囲まれた地域に位置しており、海と山が近いことから、四季を通じて温暖な気候と高地の気候の双方を楽しむことができるエリア。歴史的には、北部は相馬藩、南部は岩城藩に属していたことから、豊かな自然と奥深い歴史が相まって、地域の文化や人々にも、各市町村で共通する面と独自に育まれた面の双方が存在し、自然・行事・特産品など、様々な面でバラエティに富んだ地域である。
Jヴィレッジ
1996年に開設された日本発のサッカーナショナルトレーニングセンター。東京電力が福島県に施設を寄付する形で設立され、運営は株式会社Jヴィレッジとして福島県知事が歴代社長を務める。2006年ドイツワールドカップの直前合宿でも活用され、ジーコジャパンが大会へ向けて最終調整をした。その後も各年代の男女、各種目での利用が増えている。また、東日本大震災後・福島第一原子力発電所事故発生時には、事故対応の最前線基地となった。そのため、グランドや宿泊施設は通常利用が出来ず、復旧にも多くの時間を要した。2020年に再スタートが出来、2021年3月25日には東京オリンピックの聖火ランナースタートの地となり、2011年サッカー女子ワールドカップ優勝した「なでしこ」のメンバーが第一号ランナーとなった。2024年夏、高校男子インターハイの会場にもなる。
水素タウン
福島県浪江町は、令和2年(2020年)に浪江町FH2R開設をきっかけに「水素」をまちづくりの中心に据えた施策をすすめている。令和3年(2021年)3月5日にトヨタ自動車豊田章男社長(当時)が浪江町を訪問。FH2Rを視察し、内堀雅雄福島県知事と懇談した際には「水素事業における連携」を表明したこともあり、福島県としても「福島復興」のシンボルとして「水素」に関わる取組への支援体制を強めている。浪江町としても令和3年7月に「なみえ水素タウン構想」を発表。エネルギー資源として、水素は開発途中のテーマであり、「つくる」「はこぶ」「つかう」という各フェーズにおいて課題があるといわれている。その解決へ向けて、環境省や経済産業省の「水素」に関わるあらゆる実証実験が浪江町をフィールドとして行われている。(参考:浪江町HP https://www.town.namie.fukushima.jp/site/understand-namie/28034.html)
相馬野馬追
相馬地方で3日間にわたって行われる、国の重要無形民俗文化財にも指定されている祭典。今から一千年以上もの昔、相馬氏の祖といわれている平将門が下総国(千葉県北西部)に野馬を放ち、敵兵に見立てて軍事訓練を行ったのが起源と伝えられる。甲冑を着、腰に太刀、背には旗指物を着けた約400騎の騎馬武者が野原を疾走する甲冑競馬や、数百騎の騎馬武者が一斉に駆け出し、天中高く打ち上げられた二本の御神旗を勇猛果敢に奪い合う神旗争奪戦など、勇壮で迫力のあるシーンは、まるで時代絵巻であるかのようだと評される。例年7月の最終週に開催されてきたが、熱中症で馬が死ぬなど暑さの影響が懸念されたことを受け、2024年度以降は5月の最終週で開催されることが決定された。
天山文庫(てんざんぶんこ)
川内(かわうち)村に位置し、草野心平の蔵書が多数格納されている施設。草野心平(くさのしんぺい 1903-1988)は福島県いわき市出身の詩人で、蛙を主題にした詩を多く作ったことから「蛙の詩人」と称される。川内村の平伏沼がモリアオガエルの繁殖地として国の天然記念物の指定を受けていることから、草野は1956年に初めて川内を訪れた。以後、度々同地を訪ね、村人たちと交流を続ける。1960年、名誉村民になったのをきっかけに、草野の蔵書3,000冊が村に寄贈され、文庫の建設が決定した。草野の友人である建築家の山本勝巳が設計を担当し、村人たちの手により建設が進められ、1966年7月16日に落成した。建物は茅葺屋根の民家風。玄関の「天山」の扁額は、故川端康成の書。心平の創作場所のひとつとして愛用され、また村民との交流の場として祭りが催された。その名残で毎年7月に、草野を偲び「天山祭り」が行われている。
天神岬スポーツ公園(てんじんみさきすぽーつこうえん)
楢葉町にある公園・キャンプ場・日帰り温泉・宿泊施設等が一体となった複合施設。太平洋が一望できる見晴台や遊具をはじめ、レンタサイクル等も利用でき、特に天神岬温泉「しおかぜ荘」は日帰り温泉もできるため、キャンプ客をはじめとした多様な世代で賑わっている。また、宿泊施設サイクリングターミナル「展望の宿天神」は全室オーシャンビューで、大人数で宿泊ができる岬ロッジやコテージも備えているため、グループでの利用も可能。公園内には大型犬・小型犬でゾーン分けがされた無料のドックランがあり、愛犬家にも親しまれている。
とみおかワインドメーヌ
正式名称は、一般社団法人とみおかワインドメーヌ。海とともにある富岡町ならではの魚をはじめとする地元産の食材との調和(マリアージュ)と、何度でも訪れたくなる豊かな自然風土の環境形成(テロワール)の両立を目指し、ワインを核とした新たなまちづくりと、新しい農業への取り組みを目指す団体。県内方々に避難する町民有志10名で、2016年3月より試験的に始めた「とみおかワインブドウ栽培クラブ」の活動は、今では40名を超える会員を有するほどに葡萄と共に成長しており、県内外から参加する多数のボランティアコミュニティにも支えられている。 2020年には富岡駅東側に約0.2haの新規圃場を開設し、アルバリーニョ(白)を中心に約400本の苗木を植え付けており、今後はこの駅前圃場を拡張し本格事業を展開する見込みである。
とみおかアーカイブミュージアム
2021年7月オープンした、震災と原子力災害による富岡町の様子を後世に伝えるアーカイブ施設。震災発生時の初期対応や原子力災害及び全町避難の際の、町の様子を当時の資料や町民の日記などを通じて丁寧に伝えている。また、 地域の自然や民俗などをパネルや展示物、映像やプロジェクションマッピングなどで紹介しており、震災を町の歴史の一部として位置づけ、それによる地域や町民の暮らしがどのように変化したか、わかりやすく展示されている。特に、町民の避難誘導にあたり被災したパトカーや、駅の改札など、貴重な震災遺産とともに、津波の脅威を後世に伝える役割も果たす。
浪江やきそば
浪江町で生まれた焼きそばで、太めの麺にモヤシと豚肉の具材が特徴のご当地グルメ。ラードで炒め、濃厚なソースで味付けをし、一味唐辛子を振りかけて食べるのが通な食べ方とされる。JR常磐線・浪江駅近くの居酒屋「浪江名物元祖焼そば 縄のれん」が1955年に極太の麺を使用した焼きそばを提供し始め、浪江名物となったことが起源とされる。2008年に浪江町商工会青年部が中心となって町おこしのため「浪江焼麺太国」という団体を設立し、2010年に開催された「B-1グランプリ厚木大会」への参加を果たす。 翌年の震災と原発事故の影響で、浪江町全体が避難指示区域となり「浪江焼麺太国」のメンバーも避難でバラバラになったが、2013年のB-1グランプリでは堂々の1位を獲得したことで、一気に知名度が広がった。その後、浪江町内の仮設商店街や双葉町産業交流センター、道の駅なみえなどでも提供されるようになり、浪江町グルメの代表格として幅広い世代から愛されている。
東日本大震災・原子力災害伝承館(ひがしにほんだいしんさい・げんしりょくさいがいでんしょうかん)
2020年9月にオープンした県立のアーカイブ施設。福島で起きた地震、津波、東京電力福島第一原発事故という未曽有の複合災害の実態や復興に向けた歩みを展示し、国内外へ伝えている。展示エリア内のワークショップスペースでは、様々な場所で震災を経験された語り部による講話も聞くことができ、実体験に基づいた生の声が、展示では伝えきれない想いを補完している。震災復興について学ぶ「ホープツーリズム」の拠点として、県内外からの来訪も多く、県内の学校が東日本大震災・原子力災害に関する学習を行うことを目的に、伝承館を訪ねる際のバス料金について補助事業なども実施している(令和5年度現在)
福島ロボットテストフィールド
震災と原発事故の影響で甚大な被害を被った地域において、新たな産業の基盤を構築し回復を目的とした「福島イノベーション・コースト構想」に基づき整備された世界規模の一大開発実証拠点。柱の一つとなったロボット・ドローンの分野における陸・海・空のフィールドロボットの性能評価や操縦訓練を行うことができる。南相馬市に整備されたフィールドでは、風速20m/sまでの風を起こす装置や、一階部分が浸水した建物と冠水した建物を再現した水没市街地、高速道路や一般道の照明やジェットファンなどが設置されている試験用トンネルなどが整備され、ロボットによる調査のほか、消防訓練や救助訓練にも使用されている。また、緩衝ネット付飛行場は、夜間飛行などの特殊な飛行も含め、ドローンの飛行耐風性能などをテストできる。また、浪江町に整備された浪江滑走路、格納庫では、無人航空機の実験なども行うことができる。
双葉だるま(ふたばだるま)
双葉町では江戸時代から続く伝統行事のだるま市が毎年1月に開催されていた。町独自のダルマがなかったことを受け、約30年前にJAふたば女性部双葉支部ダルマ部会がデザインを考案し、それ以降「双葉だるま」として広く認知されるようになる。デザインは、青いラインが特徴的な「太平洋だるま」、町章をモチーフにした金色の縁取りの「町章だるま」の2種類がある。「太平洋だるま」は青い縁取りで太平洋を表現し、町の花・桜と町の鳥・キジの羽のモチーフが描かれ、未来へ向かって羽ばたいて欲しいとの思いが込められている。「町章だるま」は町章をモチーフにした金色の縁取りで、体には縁起物の松竹梅に由来する、冬場でも色あせることのない竹の模様を配置。しなやかで折れにくい竹に、願い事を叶える途中で心が折れないようにとの思いが込められている。双葉だるまは、年間を通じてだるま市でのみ販売され、東日本大震災と原発事故の被害を受けた双葉町にとっての復興のシンボルとして、多くの人が買い求める縁起ものである。
平伏沼
川内村に位置する平伏沼(ヘブスヌマ)は、海抜842mの平伏山の山頂にある、面積12aの小さな沼で、周囲の広大な落葉広葉樹と共に、モリアオガエルの生息を支えています。モリアオガエルの繁殖地として国の天然記念物の指定を受けているのは、全国で岩手県の八幡平大場沼とこの平伏沼の2ヶ所のみです。沼の北西側の不用意の伐採と、昭和47年の干ばつが重なり、産卵期に沼が干し上がり、一時は絶滅寸前まで追い込まれましたが、村民の努力で危機から救われました。モリアオガエルは、梅雨入りから10日間程で卵を産み、この時期には水辺の木の枝に産み付けられた泡状に包まれた卵塊が見られます。その後15日程でオタマジャクシになると言われており、40~50日目頃までは、尾のある小蛙を見ることが出来ます。
ホップジャパン
田村市都路の豊かな自然の中にあるクラフトビールのブルワリー。原発事故の影響で一時避難地区となり、ほぼ休眠状態となってしまっていた公共施設「グリーンパーク都路」内の建物を一部改修し、開設された。施設では、ホップの収穫から実際にビールを飲むところまで体験することができ、ホップをふんだんに使用した高品質なビールを常時7種類程度が提供されている。 製造されるビールは、自社で栽培したホップを含む、地産の生ホップをふんだんに使っていることが特徴。ビール作りだけでなく、ホップや麦の原材料栽培から、廃棄物の再利用も含め、一連の製造プロセスを見える化し、持続可能な地域の未来を見据えながら製造に取り組む。一次産業から六次産業化に繋げていくサイクルを一つの街で展開することで、地域の雇用を増やし、地域の人々が生き生きと暮らしていける循環型のコミュニティー創生を目指している。
ホープツーリズム
ホープツーリズムとは、公益財団法人福島県観光物産協会が承認する東日本大震災及び福島第一原子力発電所事故における影響を体験するツーリズムのこと。ツーリズムとはラテン語のターナス tornus(ろくろ)が語源で、 巡回、周遊、 周回、回転、回旋という意味で、ひとことでいえば「めぐる」こと。ここから観光のみならず、教育や学習、産業振興などさまざまな側面をもち、福島の原子力発電所事故から様々な視点でのツーリズムが展開されている。東日本大震災では、福島県は世界で唯一の「複合災害(地震・津波・原子力災害)」を経験。その経験を活かした福島オンリーワンの新しいスタディツアープログラムである。ツアーの特徴として、福島の「光と影のありのままの姿」と様々な分野で「復興に向け果敢にチャレンジする人々との対話」を通したインプット部分がある。また、それぞれの自分事として「各自の行動変容に繋げるため」にどう活かすのかなど、ワークショップにおいて探究・創造するアウトプット部分をツアー内容に含むアクティブラーニングツアーとしての意味も大きい。(参考:公益財団法人福島県観光物産協会「ホープツーリズム」HP:https://www.hopetourism.jp/)
松川浦
「松川浦」は相馬市原釜と磯部の間にある福島県唯一の潟湖。磯部より鵜の尾岬までの砂州(さす)により河口部の入り江がせきとめられてできた。南北の長さ約7キロメートル、最大幅約1.5キロメートル、最大水深約5.5メートル、面積738ヘクタール。海水と真水が混合した低塩分の汽水湖。浦内には大小いくつかの島々が点在し、「小松島」と言われる景勝地で、現在10数島の島が確認されている。その景観の美しさから日本百景に選定されており、松川浦県立自然公園に指定されている。江戸時代には相馬中村藩主の行楽地とされており、万葉集にもうたわれている。江戸時代から相馬藩によって塩田が開発されていたが1905年(明治38年)に廃止。入り江の入り口内側は松川浦漁港のひとつ原釜漁港、浦内最南部に磯部漁港がある。春から夏にかけては潮干狩りが行われ、海苔の養殖が盛んである。東日本大震災による津波で被災。
ムシムシランド
旧常葉町(現田村市常葉町)に1989年に開園した、昆虫の観察施設。田村市は、広葉樹の腐葉土にカブトムシの幼虫などが多く生息し、レアなミヤマクワガタも捕れる。「日本で唯一の虫の楽園」を謳う昆虫のテーマパークとして人気を博し、自然に近い状態でカブトムシと直接触れ合える夏季限定のカブトムシドームや、昆虫標本を展示してあるカブト屋敷の他、バーベキュー施設、宿泊施設を備える。2022年に「昆虫の聖地」を宣言して昆虫を通じたまちおこしに力を入れ、「全国クワガタサミット」の開催などによる「昆虫の聖地」宣言を発表。2023年には、田村市の呼びかけにより、昆虫を核として自治体が連携して観光振興に取り組む「昆虫の聖地協議会」が発足し、全国15市町村が参加するなど、昆虫ブームを牽引する拠点でもある。ちなみに田村市のゆるキャラ「カブトンファミリー」の父親である「カブトン」は、田村市合併前、旧常葉町が昭和63年に「カブトムシ自然王国」として独立を宣言したことを契機に、仲間がたくさんいる常葉町に「ビートル64星雲」から移住したとされる。
夜の森桜並木
富岡町夜ノ森地区にある県内有数の桜の名所。全長2.2kmにわたる沿道に約420本のソメイヨシノが植えられている。相馬中村藩の下級武士の家に生まれ、苦学して実業家・政治家として活躍した半谷清寿氏が、理想の村づくりを進めるために不毛だったこの土地に入植し、1901年に開拓記念に300本のソメイヨシノを植樹したことが起源とされる。原発事故により桜並木の大部分が帰還困難区域になったが、その間も夜ノ森の桜は人目に触れることなく12年にわたりひっそりと咲き続けていた。2023年4月には帰還困難区域のうち、夜の森地区を中心とした地区の避難指示が解除されたすべてのエリアで観賞できるようになり、桜の時期には大勢の観光客を迎える町の象徴的な存在になっている。
haccoba(はっこうば)
南相馬市小高区で2021年2月に誕生した「クラフトサケ」を手掛ける酒蔵。民家をリノベーションし、東京から移住した若者たちが、まさにゼロから立ち上げた。伝統的な日本酒の製法をベースに、ビールの原料であるホップを入れるなど、ジャンルの垣根を超えた自由な醸造スタイルで酒造りに取り組んでおり、新しい酒が発売されると同時に売り切れとなってしまうほどの人気を博している。
HOP JAPAN(ホップ ジャパン)
田村市都路の豊かな自然の中にあるクラフトビールのブルワリー。原発事故の影響で一時避難地区となり、ほぼ休眠状態となってしまっていた公共施設「グリーンパーク都路」内の建物を一部改修し、開設された。施設では、ホップの収穫から実際にビールを飲むところまで体験することができ、ホップをふんだんに使用した高品質なビールを常時7種類程度が提供されている。 製造されるビールは、自社で栽培したホップを含む、地産の生ホップをふんだんに使っていることが特徴。ビール作りだけでなく、ホップや麦の原材料栽培から、廃棄物の再利用も含め、一連の製造プロセスを見える化し、持続可能な地域の未来を見据えながら製造に取り組む。一次産業から六次産業化に繋げていくサイクルを一つの街で展開することで、地域の雇用を増やし、地域の人々が生き生きと暮らしていける循環型のコミュニティー創生を目指している。
Jヴィレッジ
1996年に開設された日本発のサッカーナショナルトレーニングセンター。東京電力が福島県に施設を寄付する形で設立され、運営は株式会社Jヴィレッジとして福島県知事が歴代社長を務める。2006年ドイツワールドカップの直前合宿でも活用され、ジーコジャパンが大会へ向けて最終調整をした。その後も各年代の男女、各種目での利用が増えている。また、東日本大震災後・福島第一原子力発電所事故発生時には、事故対応の最前線基地となった。そのため、グランドや宿泊施設は通常利用が出来ず、復旧にも多くの時間を要した。2020年に再スタートが出来、2021年3月25日には東京オリンピックの聖火ランナースタートの地となり、2011年サッカー女子ワールドカップ優勝した「なでしこ」のメンバーが第一号ランナーとなった。2024年夏、高校男子インターハイの会場にもなる。
12市町村
東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴う避難指示等の対象となった福島県の12の市町村(田村市・南相馬市・川俣町・広野町・楢葉町・富岡町・川内村・大熊町・双葉町・浪江町・葛尾村・飯舘村)を「福島12市町村」と称する。「海側」の太平洋に面した地域と、「山側」の阿武隈山地に囲まれた地域に位置しており、海と山が近いことから、四季を通じて温暖な気候と高地の気候の双方を楽しむことができるエリア。歴史的には、北部は相馬藩、南部は岩城藩に属していたことから、豊かな自然と奥深い歴史が相まって、地域の文化や人々にも、各市町村で共通する面と独自に育まれた面の双方が存在し、自然・行事・特産品など、様々な面でバラエティに富んだ地域である。

関わる・体験する

トップへ戻るボタン